和声っていったいなに??
和声ってあまり聞きなじみのないことばではないでしょうか?
「和音なら知っているけど、和声??」と思う人もいるでしょう。
そしてその聞きなじみのなさもあいまって、なんだか難しい学問のようなものという印象を受けるのでは?
和声ということばの意味は実はシンプルです!
まず和音とは同時に重なり合ったいくつかの音の集まりのこと。
これが皆さんがよく想像する和音のことです。
和声とはいくつかの和音のつながりのことです。
つまり、ド・ミ・ソの和音のあとにド・ファ・ラの和音が続くという流れが和声ということです。
バロック期以降の多くの作曲家たちは「どんな和音が美しいか?」ということよりも「どのように和音同士をつなげるか?」ということに関心を持ちました。
とはいいつつも念のために言いますと、彼らにとって和音の美しさはどうでもよかったわけではなく、和音のつながりに比較的関心を持ったということです。
いかに和音同士のつながりが発展するか。まさにそれが和声法の課題なのです!
和声にとって大事な12平均律とは?!
多くの場合、18世紀ヨーロッパの古典的和声のことを和声法といいます。
そして和声の話題で話さなければいけないことが12平均律についてです。
この12平均律を抜きにして和声法は成り立つことができないのです。
12平均律とは1オクターブを人工的に12等分する調律のこと。
18世紀以降、12平均律は広く使われるようになりましたが、それ以前は純正律という方法で調律が行われていました。
現在ではほとんど使われていない純正律ですが、純正律によって調律された楽器はとても美しく自然な和音を響かせることができます。
だけど実は純正律は転調や移調には不向きなのです。
調を変えた際に音が悪くなるからです。
そこで登場したのが12平均律。
12平均律によっていろいろな調に転調できるようになりました。
そのかわり12平均律の響きは純正律に比べて微妙に濁っています。
人々は自然な和音の美しさを捨てることにより、和声によって音楽のファンタジーを描くことができるようになったのです。
和声はいつ始まったの??
そんな平均律を基盤とした和声を理論的にまとめたのがフランスの作曲家ラモーです。
ブフォン論争によって有名なラモーですが、彼は1722年に『和声論』を出版し、その後の和声の歴史に大きな影響を与えました。
奇遇にもこの年は、さまざまな調で書かれたプレリュードとフーガがまとめられた『平均律クラヴィーア曲集』がJ.S.バッハによって書かれた年。
平均律を基盤とした和声によって、音楽の新しい時代が始まったのです。
ラモーの後、和声はどうなったか?!
では和声はどのように発展していったのでしょうか?
19世紀に和声は大きく発展しました。
たとえば、多くの作曲家たちがよく使った転調の仕方にエンハーモニック転調というものがあります。
エンハーモニックとは和訳で異名同音といいます。
試しにピアノでド♯を弾いてみましょう。
それを絶対音感のある人が聞いたら「ド♯」と答えるか、「レ♭」と答えることもあるでしょう。
「シのダブルシャープ!」と答える人もいるかもしれません。
このように一つの音は二つ以上の異なる名前を持ちます。
それがエンハーモニックで、エンハーモニックの特徴を使った転調がエンハーモニック転調です。
例を出してみましょう!
たとえばハ長調の場合、シ・レ・ファ・ラ♭の和音は普通の和声法の進行によれば、シはドに、ファはミに、ラはソに、そしてレはドかミのいずれかに進行して、ド・ミ・ソの和音になります。
それをエンハーモニック転調してみます。
シとレはそのままで、ファをミ♯、ラ♭をソ♯ととらえると、シ・レ・ミ♯・ソ♯という和音になります。
そしてこの和音はファ♯・ラ♯・ド♯という和音に進行できます。
それによって嬰ヘ長調というハ長調からとても離れた調に転調できるのです。
それをエンハーモニック転調といい、19世紀の作曲家がよく用いました。
だけど彼らは芸術家。
芸術家というものは他と一緒では飽き足らず、オリジナリティを求めます。
そのため和声はさらに拡大して解釈されることによって発展していきました。
その結果音楽が複雑なものになって、理解することが難しくなったのです。
まとめ:どうして和声が必要なのか??
その意味で和声の歴史はラモー以降の作曲法の歴史とも言えます。
そして和声をある程度でも知っているということは、クラシック音楽を聴く際に有利なことです。
それによってその作曲家の個性が垣間見えるのです。
だけど和声はクラシック音楽を理解するための勉強ではありません。
あくまで和声は作品をより深く知るための一つのきっかけ。
和声を難しいものと思わないで、音楽のパズルのつもりで気楽に初めてはいかがでしょうか??