オペラファンの皆さんは、きっとオペラ観劇の度に、その作品の設定や作曲家のことなどの情報を取り入れていることと思います。
でも、じゃあその作品はオペラの歴史全体でどのような時代の作品だったのか、社会全体との関わり合いはどうだったのか、ご存知でしょうか?
ここでは、一般にあまり知られていないオペラ史を、世界史の出来事とも関連付けながら順を追ってざっくりと解説していきます!
イタリア発の伝統芸能!その誕生は?
オペラは、ヨーロッパの人々に愛されながら長い時間をかけて発展してきました。
その長さ、なんと400年を超えるんです!
現在知られている最古のオペラは、1597年に作曲された「ダフネ」と呼ばれる作品。
古代ギリシャ時代の音楽劇を再興させよう!という一大プロジェクトとして、フィレンツェのメディチ家と音楽家が作ったのが始まりと言われています。
そのため、この時期の作品はギリシャ神話や旧約聖書の物語が多く採用されているんです。
ちなみに、日本における「歌芝居」といえば歌舞伎。
その原型となった「歌舞伎踊り」を出雲阿国が始めたのが1600年頃だと言われています。
つまり、東西の歌芝居文化は奇跡的にほぼ同時期に生まれ、そして現在まで受け継がれてきたんです!
オペラ界にもフランス革命!?
フィレンツェで生まれたオペラはその後、ナポリで発展しフランスや神聖ローマ帝国(ウィーン)などに広まっていきました。
オペラ誕生から約150年後にはあの神童モーツァルトが生まれます。
それまでオペラは貴族の物で、そのため真面目な内容、特に神話のようなオペラ=オペラ・セリアが多く作られました。
しかし、変化せず150年も経つとさすがに色々とさすがにマンネリ。
この時期の作品を当時のスタイルで上演すれば、お客さんは高確率ですぐに寝てしまいます。
曲の中ではあまり話は進まず時間が止まり、レチタティーヴォ※でしか話が進まないからです。
現代で上演する場合は衣装や装置、演出に様々な工夫を仕掛けたりしますが…
これはまた別の話なので割愛。
そんな折にちょうどフランス革命が勃発して貴族は衰退、歴史の主役は庶民へと移り変わっていきました。
実は、オペラは世の中を映す鏡とも言えます。
モーツァルトは衰退していく貴族を面白おかしく風刺するような作品を書き、オペラ慣れしていない庶民にわかりやすいようにレチタティーヴォを無くして母国語であるドイツ語の歌詞と台詞で「ジングシュピール」という形式を確立しました。
さらにこれまでと違い、独唱(アリア)の最中でも物語が大きく進むようになります。
この点が後のオペラに大きな影響を及ぼしました。
※レチタティーヴォ…日本語で叙唱。台詞に音符を付け、歌うようにして会話やモノローグを進める。
1800年代半ばまでの主流なスタイル。
ピンとこない方はモーツァルトを観てみましょう!
歌唱技術の進歩!ベルカントの世界
モーツァルトと入れ替わりに現れたオペラ作曲家が、ロッシーニです。
ここからイタリアオペラの黄金時代が幕を開けます!
ロッシーニの作品は、とにかく超絶技巧、超絶技巧アンド超絶技巧!超早口のまま大人数でハモッたり、「アジリタ」と呼ばれる声を転がす技術だったり、信じられないような超高音だったりと、セリア(悲劇)でもブッファ(喜劇)でもどちらをやっても超大変!
現代でも歌える歌手はごく限られています。
そしてロッシーニの次に現れた二人の作曲家によって時代はピークに。
ドニゼッティは1~2週間で1作品作り上げるような超速筆で、ロッシーニの後を継ぐような作曲家。
ベッリーニは若くして死にましたが、後のヴェルディに繋がるような作品を残しました。
母国語オペラとオペレッタの誕生!
1800年代後半になると、それまでの伝統的なイタリア語作品やジングシュピールで流行ったドイツ語作品だけでなく、ヨーロッパ各国で自国の作曲家が自国語で作曲するようになりました。
特にフランス語とロシア語の作品はこの時期に急激に発展し、「カルメン」や「エフゲニー・オネーギン」など後世に残る作品が多数生まれました。
で、本場イタリアや貴族だらけだったウィーンがどうだったかというと、まずウィーンは「オペレッタ」というジャンルが確立しました。
元々フランス発祥のスタイルですが、歌と台詞とダンス、そして底抜けに明るい題材とキャッチ―な音楽で爆発的に流行しました。
これこそが、後の「ミュージカル」の直接の祖先(?)なんです!
イタリアはと言うと、依然黄金期真っただ中。
新進気鋭の作曲家ヴェルディによってイタリア人の心をくすぐる作品を連発し、高まりつつあったイタリア統一の機運を一層高めました。
ちなみに彼はその後政治家となり、統一後のイタリアの顔としてあり続けるのでした。
そしてヴェルディを出したら忘れられないのがドイツの作曲家ワーグナー!圧倒的に重厚なオーケストラと圧倒的に長大な音楽、そして圧倒的ゲルマン主義!ナチスドイツのヒトラーが愛した理由の一つが、ワーグナー作品の中にある「ドイツ愛」であったと言われています。
この1800年代後半になぜこれほど多くの変化が生まれたかというと、そこには産業革命があったためだと考えられます。
移動が馬から鉄道へと移り、人や物、情報や文化の移動が速く容易になったのです!
絵画と同じ?写実主義とシュールレアリスム
1900年前後になると、それまでとは違った作風のオペラが生まれます。
それは「ヴェリズモ=写実主義」と呼ばれ、例えば「カヴァレリア・ルスティカーナ」のようなノンフィクションや「道化師」のような劇的な殺人劇だったりと、一言で言えば「実際に起こりそうな物語」そして「人が死にがちなオペラ」です。
さらに同じ時期、イタリアではヴェリズモの作曲家たちと並んでプッチーニという作曲家が大ヒットを飛ばします。
フィギュアスケーターの荒川静香選手がトリノオリンピックで金メダルをとった「トゥーランドット」や「蝶々夫人」、「トスカ」に「ラ・ボエーム」など、世界的に見てもヴェルディやモーツァルトと並んで上演機会の多い人気作が目白押し!
その作風は「ヴェリズモ」「シュールレアリスム」のどちらにも属さず、何といってもロマンチックな物語とメロディー!
初心者にもオススメの名作ぞろいです。
そのほんの少し後、、ヴェリズモとは真逆の「実際に起こり得ない物語=シュールレアリスム」と呼ばれるオペラも現れます。
たとえばショスタコービッチの「鼻」というオペラ。
ある日鼻が取れて一人で歩いてどっかに行っちゃった!というメチャクチャなストーリー!
ちなみに鼻役はテノールです。鼻のコスチュームを着てやる場合が多いです。誰が作るんですかね、あの衣装。
意外と知られていない日本オペラ史 ?!
ここまで海外のオペラ史をざっくりとご紹介しましたが、それでは日本のオペラ史はどのようなものだったんでしょうか?
すこーしだけご紹介します。
日本初のオペラ上演はなんと江戸時代!
その後1900年ごろ、日本の欧米化に伴い本格的に輸入され始めました。
そして生まれたのが「浅草オペラ」という劇場で、第一次世界大戦後~関東大震災で消失するまで続きました。大正時代を代表するハイカラな劇場だったんでしょう、数多くのスター歌手を生んだと言われています。
そして1930年代には藤原義江により「藤原歌劇団」が創設され、現代まで続いています。
戦後には「二期会」が設立され、この2団体は今日に至るまで日本のオペラ界をけん引し続けています。
作品も滝廉太郎以降100年間にわたり数多くの日本語作品が作曲され、「夕鶴」(鶴の恩返し)など日本の昔話を題材にするもののほか、「脳死を超えて」などの現代人の苦悩を描いた作品まで様々な作品が生まれています。
また、日本独自のスタイルとして「小ホールオペラ」と呼べるスタイルがあります。
残念ながらオペラ専用劇場や専属契約が存在しない日本は、公演をするためにホールを借りなきゃいけません。
これがすっっっごく高いんです。
そこで注目されたのが小ホール。
費用が安い小ホールを利用し、オーケストラの代わりにピアノ伴奏や小編成の室内楽を使用することで人件費を抑え、さらにお客さんは歌手の演技を間近で体験できるということで、都内を中心に無数の団体が小ホールでオペラ公演を行っています。
まとめ
世界のオペラ史をざっくりまとめてみましたが、いかがでしたか?
今回はオペラ史ということで、少し長く&マジメな内容となりました。
ひとことで言えば「古代ギリシャの劇をイタリア人が復活させようとしたら、後の人が技術とかいろいろ発展させて世界中に散らばっていったよ」ってことです。
日本は早くもガラパゴス化してきてますね。
歌手の雇用のためにも、いつか劇場専属契約も生まれてほしいものです。
これからオペラ公演を観劇する際は、ぜひ作曲年代なんかも合わせて確認してみてください。
どのような時代背景で生まれた作品なのかを知ると、オペラをより楽しく観劇できますよ!
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